今まで自分の身の回りにはいなかった。
『レイプ犯罪の被害者』
それが、偶然知り合ったブログの筆者が告白した。
「実は私には、レイプされた過去がある。」
衝撃的だった。
人の捉え方は様々だろう。
たかが
ブログ。
面識もない、声も知らない、誰だかわからない。
フィクションかもしれない。
画面の向こうでは、あざ笑っているかもしれない。
そんなことは、関係なかった。
「ずしり」ときた。
彼女の文面には、「
重さ」がある。
それは、リアリティだけじゃない。
なんだろう。
真実が発する
うめき声のようなもの。
その
うめき声が、僕を、僕の思考を
鷲掴みにした。
起きてしまった出来事は、しかたのないことなのかもしれない。
彼女は、その底辺から立ち上がっている。
どんな苦しみの中を、どんな怒りの中を
呼吸してきたのだろう。
紆余曲折と呼ぶだけでは済まされない過去の上に
今、彼女は立っている。
だが少しずつ、彼女は
ゆるされようとしている。
だれから、なにを、どのようにして。
そんなことは関係ない。
彼女は、徐々に
静かに
ゆるされようとしている。
積極的に許されようとしていた時期もあるだろう。
しかし、結局は彼女の言う
私はあのときの私自身をゆるしていなかった
つまりは、彼女は
ゆるされなかったのだ。
僕は、男性としてこの世に生を受けた。
必ずではないが、男性は女性より腕力もあり、体力もある。
よく言われる、「死ぬ気で抵抗すれば・・・。」という言葉が
無神経であることも理解している。
しかし、現実として「
被害者」はそこに存在し、
そして、苦しんでいる。
レイプだけでなく、あらゆる犯罪の
被害者は
その多くが、何の責もないのに
被害者として生きていかねばならない。
その不条理な立場は
同様の事件であっても、感じ入るところは各々で異なる。
まして、そのような経験のない人間からの言葉は
軽々しくもあり、何の効果も生まないかもしれない。
しかし、同じ男として
自分と同じ性を受けた人間が、レイプ犯罪を犯したことに
猛烈に恥じる。
ただひとつ、救いなのは彼女が
死を選択しなかったこと。
そこには、全てを飲み込んで彼女のことを
愛した人間がいたから。
そう僕は、勝手に信じている。
その信じた人からの不貞行為。
そして、吐露された言葉。
苦痛。
だが、彼女はまたそこからも立ち直ろうとしている。
人生は“ゆるされること”の繰り返しなんだと知る。
全ての
被害者は、
被害者である自分を責める。
あるものは、子供を失った。
あのとき、学校に迎えに行っていれば。
あのとき、知らない人についていかないように言っておけば。
あるものは、体を犯された。
あのとき、違う道を通っていれば。
あのとき、助けを呼べる声が出せたら。
すべて、許されたいがための〝
うめき声〟が
ドロドロと体から流れ出す。
ゆるされたいのに、自分を
責める。
何一つ、悪いことはしていないのに。
そうなのだ。
僕のような者の言葉は要らないかもしれないが
彼女は、悪くない。
決して悪くない。
繰り返し言うが、
決して、彼女は悪くない。
ほんのわずか。
気にもとめない。
誰も気付かない。
いや、自分すらも気付かない
そんな、スピードで
すこしづつ、
ゆるされていくのだろう。
彼女が、そして彼女の夫が
そうやって、
ゆるされていくうちに
また一歩、進んでいくのだろう。
彼らに、幸せのときが訪れることを願ってやまない。